10月の空

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毎日起きたらベランダに出て空に向けてシャッターを切る。ただのルーチンワークになっているけど10年くらい続けてきた。何かの表現なのか、作品なのかと問われても、特に意味はなく何も考えていない。けれど、そのうち何か見いだせるのではないかと撮り続けてきた。

同じように見えて1つとして同じ空はない。日々の生活の中で空を見上げる時間を作りたい、そんな思いもあるけど、1番しっくりきているのは空が普遍ということだ。確かに、同じ空はないとも思うのだけど、10年前、100年前も変わらずに我々は空を見上げている。この考え方は私が雑木林や武蔵野を撮ることとそれほど変わらない。

近所の雑木林を歩いていた時にふいに思った。ご先祖様もこの雑木林の中を歩き、同じ風景を見ていたんだなと。町並みは5年、10年という歳月でも随分変わってしまうものだけど、自然というのはあまり変化がない。まあ、正確には自然というのも随分変わっていて同じ景色ではないのだろうけど、古風な家が近代的な家に変わるのとはまるで違う。そう思うと雑木林がより大切な存在になり、ただの気軽な被写体ではなくなった。

武蔵野というのも昔からその風景は様々に語られてきた。見渡す限りの野、というのは現代の武蔵野からはまったく想像できない。けれど、野はないけど畑や田んぼ、川など広々とした気持ちのいい場所はある。それも正確には武蔵野の原風景ではないのだけど、現在地の武蔵野であることに変わりはない。そして願わくばこの景色は残り続けてほしいと思って写真を撮っている。

そう考えていくと空の写真というのも何か見えてくるかもしれない。そう思って何年も過ぎているのだけど。