木点描、犯罪者に何を求めるべきなのか

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▽「死刑でも気持ち治まらず」 女児殺害、遺族が出廷―新潟地裁
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019111301019

大切な人を殺害された人は犯人に何を望むのか。私は調査しているわけでもないし当事者でもないので本当の所は分からない。いや、実際は当事者であっても分からないのではないか。昨年、新潟で小学生2年生の女児が車ではねられ、わいせつ行為をされ、殺害され、線路に遺棄されたとても凄惨な事件が起きた。

裁判員裁判の公判が新潟地裁であり、女児の父親は死刑でも気持ちは収まらないと話している。それ以上の極刑を望んでいるのだろうけどそのようなものはない。犯人は起訴内容の一部を否認し、殺意はなかったと供述し、弁護側は殺意がなかったから殺人罪は適用されないと主張している。心から反省しているのかこれでは疑問に思う。遺族が憤るのも当たり前だ。けれど、ここでも犯人が心から反省し、謝罪をし、あらゆる罪を認めて刑を受け入れても遺族の心は救われることはおそらくない。大切な人を奪われるというのはそれほど大きな傷を負ってしまうことなのだと思う。

海外で大切な人を殺害された遺族が犯人を許すというニュースを度々目にする。日本でそのようなことはあまり起こっていないように思う。もしそのようなことがあれば大きく報道されるはずだ。とはいえ、海外でも珍しいからこそ報道されていると考えられる。赦すという行為は簡単に出来ることではない。恥ずかしい話、私なんか何年も何十年も前の些細なことも根に持っていたりする。宗教や文化的なことで赦す心を持てるのだろうか。

起こってしまったことを解決できるのは時間だけ、もしくは永遠に無理なのかもしれない。犯罪の起きない社会はどうすれば実現できるのだろう。罪を犯した人間を心から改心させるにはどうすれいいのだろう。無知、無力さを思い知る。