所沢点描と町のプラモデル屋とバンクシーのこと

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最近思っていたことがある。
なぜプラモデル屋は存続できるのか。
需要があるとは思えない。
今も昔も。
コアなファンがいるのは分かるのだけど、生活は成り立つのか。
近所に駅から少し離れた場所にプラモデル屋があった。
市内にはいくつか店舗があったように思う。
ファミコンが登場してテレビゲームが全盛になっていく時代。
ずっとあり続けた。

街のプラモデル屋がなぜつぶれないのか?
https://www.catari.jp/article/detail/?id=126

テレビが元ネタのようだけどこの記事を発見。
住宅街の自宅を店舗にしているらしい。
取材の日の来客は10人。
少ないような気もするけど住宅街の話だ。
それに家賃もかからず、単価も低くはない。
うず高く積まれた大量のプラモデルがあることも魅力。
これはドンキホーテ的な楽しさがあるように思われる。
そして安い。
といってもただ単に安いわけではなく、プレミア商品も定価で販売しているそう。
他の商品も安売りせず定価なのかしら。
なるほど、例え狭い業界でもちゃんとお客がつけばやっていけるということだ。
これは町中のプラモデル屋にもいえるのだろうか。
近所の店は大量のストックはなかったと記憶する。
とても小さいお店。
残念ながら今はない。
理由は分からないけれど10年以上は営業していたはずだ。
というかこの記事だと広い範囲での答えになっていないのは気のせいだろうか。
デイリーポータルZにも記事があったので貼っておく。

実家感のすごいプラモ屋を見た
http://portal.nifty.com/kiji/170613199880_1.htm

こちらの記事のほうが断然面白い。
さすがデイリーポータルZである。
どうやらあまり儲かってはいないようだ。
こうしてブログを書いていて何も中身がないことに気付く。
まあ、そんな日があってもいいか。
いつも中身がないけど。




一つだけニュースをピックアップ。
さすがバンクシー。
痛快で愉快なことをする。
アートが巨大市場化することへのカウンターパンチだ。
自分の作品が商品にされて莫大な金額になっているのは気分が悪いのだろう。
もともとストリートアートの人だからね。
皮肉なことはおそらくこの作品が更に値がつり上がってしまうことである。
この裁断することまで含めて作品でアート的な行為になってしまった。