雑木林点描と図書館とPTA不要論と作品としての雑木林、武蔵野

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雨。
晴耕雨読。
といって読む本がない。
図書館へ返しつつ借りてくる。
いつも思うけれど、とても有り難い行政サービスだ。
貧乏人の私は特にそう思う。
作家さんや出版社には困ったものかもしれないけれども。
大量生産大量消費という社会にあって図書館というのはエコシステムではある。
みんなが得をするビジネスモデルはあるだろうか。
アイデアはまるでない。


今回借りてきた一冊。
まるで分からない世界が学校のPTA。
いろいろ問題があるというのは聞いている。
もう少し踏み込んで理解してみよう。
読み出してみると、苦痛だ。
とにかく悪い部分が感情的に書き綴られている。
辛いことがあれば逃げればいい。
そんな信条の私にはPTAの存在などなくていいと思ってしまう。
まあ、必要な部分もあるのだろうし、長年続いてきたことも事実だ。
もっと柔軟に、開かれた、苦痛のない活動であってほしいものである。


図書館ついでに雨の雑木林を歩く。
本日の写真をパシャリ。
もう雑木林の写真しか撮っていない。
武蔵野写真はどうしたものか。
撮りたいと思わなければ終わりなのだろう。
無理に撮っても意味はないし、きっとそれは駄目な写真だ。
寂しいものである。
雑木林の写真に何かを見出さなければいけない。
武蔵野写真も故郷の風景であることに変わりはないけど、より身近な存在なのは雑木林。
それに雑木林だって武蔵野の一部であり重要なパーツだ。
ヒントはそこにあって今までの武蔵野的風景の違う側面ということで形になりそうな気はする。
まあ、作品化できるのならそのうち言葉にできるだろう。
和紙にプリントして廃棄された板に貼り付けた「樹は巡る」とは別次元のものにしたい。
何度も言うけど雨の雑木林は好きだ。