樹点描

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幸福な時っていつだっただろう。
今ではない。
人類の話ではなく、自分のこと。
ふと気付く。
祖父母がどんな人だったか、何を話したか忘れてしまった。
けれど、愛されていたことは覚えている。
勝手な解釈、思い込み、記憶の書き換えかもしれないけど。
それにいろんなことにチャレンジできる未来があった。
今の私に夢あふれる未来はない。
悲しいことである。
同年代で今が一番の幸福な時だという人はいるだろう。
多数派なのかしら。
バブル崩壊の後、日本社会はネガティブなイメージで語られてきた。
それを個人の生活にまで当てはめることは適切ではない。
幸福というのは人それぞれ。
そういえば、幸福を求めすぎることが現在の諸問題を引き起こしてると思っていたことがある。
物やお金、地位や名誉を得ることに幸福を求めてしまったことの帰結が現代社会ではなかろうか。
その考えは今も変わっていない。
ということは冒頭の幸福な時というのも意味をなさなくなってしまう。
人生における最良の時、と言い換えてもいい。
それが私にとっては子供の頃ということだ。
今になって、祖父母と話をしていればと後悔している。
叶うなら過去に戻りたい、あの最良な時に。
分析をしてみると昔の音楽や写真、文化を好きな理由がここかもしれない。
昔は良かったという幻影に私は惑わされている。
とりあえず今はお腹が痛いので幸福ではない。


オウム真理教・麻原彰晃らの「死刑」はどのように執行されたのか
https://smart-flash.jp/sociopolitics/44727

話変わって死刑の話。
私が死刑反対に回った一つの理由は、執行人の問題。
死刑執行人という職業があっていいのだろうか。
社会が受け入れるのなら文句は言わない。
誇れる職業として本人が納得しているのなら構わない。
死刑執行人がどのような扱いをされてきたを考えると廃止が妥当だろう。

執行ボタンを押すのは3人で、同時にボタンを押すことになっている。3つのうち、どれが繋がっているかわからないよう配慮されている。

これもおかしな仕組みだ。
執行者だというのをぼやかすつもりだろうけど、逆効果な気がする。
自分が殺したかもしれないと苛まれる人間が3人に増えてしまう。
ボタンを押すだけなんだから大臣が役目を担えばいい。
裁判員制度のように無作為で執行者を選ぶ手もある。
嫌なら死刑廃止だ。