川越点描

DSC_2294.jpg

ブログを投稿しようとすると、出来ない。
メンテナンスだったようだ。
たいしたことのないようでこれだけでリズムが狂ってしまう。
ブログというのは私にとっては大切な存在らしい。

6月6日、関東地方梅雨入り。
雨の季節に突入だ。

ナチス、全体主義、ハンナ・アーレント。
難解なテーマだ。
けれど、とても面白い。
面白いというのは不適切かもしれないが、現代に大きな示唆を与えてくれる。
噂には聞いていたのだけど、ハンナ・アーレントはブームのようになっていた。
必然かもしれない。
ハンナ・アーレントについての本を読んでいる。
といっても本人の著作ではないのでさらっと触れた程度。
ここで詳しく書けるほど知ったわけではない。
けれど、ヒントはもらった。
なぜ大衆が全体主義になってしまうのか。
戦前の遠い昔の話ではない。
状況としては現代においても全体主義が育まれる土壌がある。
個人主義的な社会で疲れや不安を感じることが全体主義に繋がるという。
高齢化、少子化、経済不安、経済低迷、格差、周辺国との緊張関係、治安の悪化。
市民、いや、大衆はカリスマ的な誰かを渇望してはいないか。
敵、悪を作り上げ、自分の存在を正当化していないか。
自分への戒めだ。
物事を多角的に、客観的に捉えようとはしている。
けれど、私も全体主義的傾向を否定できない。
むしろその真っ只中にいることに気付いてしまった。
絶望している。
そして恥ずかしい。
けれど、ハンナ・アーレントのいうように、誰にだって起こりうる事だ。
多くの人は否定するだろうけどね。
誰だって自分がナチスのような殺戮に手を貸すとは思えない。
現に非常に強い批判をハンナ・アーレントは受けている。
では、どうすればより良き市民でいられるのか。
残念ながらハンナ・アーレントは自身の言葉ではっきりと教えてくれない。
このブログでも何度か書いているけど、やはり対話だろう。
そしてあらゆる差別、区別をこえて多様性を受け入れること。
世の中を見渡してみると、出来ていないから大変困る。
私自身も。