狭山点描

DSC_2003.jpg

偽善というものがあるのか考えていた。
結論からいうと、ない。
逆に考えると、良い人が悪いことをしたらどうだろう。
例えば優しい友人が人をぶん殴った。
友人はとても良い人だからぶん殴っても構わない。
そんなことにはならないはずだ。
といってその友人は悪い人間なのか。
もはや「本当」なんてことは問題ではなくなってくる。
偽善ということを考えてもその人間かどんな人間かなんてどうでもいい。
行為だけみれば善なる行為が多く行われれば世の中は優しい世界だ。
悪い心があっても善なる行為をすることが当たり前になれば善寄りの人間に変わる。
ぶん殴った友人も良い心があればまたやり直すこともできるでしょう。
何が言いたいかというと、優しく見守ろうということだ。
そんなことを考えつつ、ラジオから流れてきた番組は「線を引く人達」。
相模原の殺傷事件を主題に進められていく。
犯人は障害者に対して明確に線を引いたし、世の中も線を引いている。
最近私もブログで触れていたけど人は様々なことをカテゴライズしてしまうことが多い。
昨日も書いたけどホロコースト、ヘイトスピーチもそう。
バタフライ効果ではないけど何かのきっかけでとんでもない大きな問題に発展してしまうことはある。
犯人の植松被告は稚拙で浅はかな考えで事件を起こしてしまった。
彼は今も間違いと認めず、何も反省していない。
ある種のエラーを持った人間だと言える。
多くの人が理解出来ないことだけど、彼もまた社会に生きる人間だ。
番組の最後で語られていたけど、犯人を特殊な人間だと断じてしまうことがまさしく線を引いてしまうことに他ならない。
記者はまた植松被告に面会に行くそうだし、植松被告も拒絶しなかった。
必要なことは対話であり、歩み寄りなんだろう。
それが日常生活で当たり前にできていれば、殺傷事件は起きなかったのかもしれない。